佐渡用語辞典(っていうほど詳しくないですが)
新説、真説、俗説ありましたらメール下さい

安寿と厨子王の母 父を捜す旅の途中、安寿は亡くなり(舞鶴?佐渡?)母は騙されて佐渡に…後に出世した厨子王と佐渡での再会した場所を達者で良かったってところから『達者』と名付けられた。鹿ノ浦には安寿塚があります。、達者の清水で目を洗った母親の目が見えるようになった事から目洗い地蔵があります(森鴎外『山椒大夫』) 相川町
君の名は ドラマが始まると女湯が空っぽになる。終わると主婦が一斉に炊事を始めるので団地などは水の出が悪くなるとか色々な伝説が生まれました。映画ロケが昭和29年尖閣湾で行われ、ヒロイン、マチコに因んでマチコ橋と名付けられた橋もあります。有名なマチコ巻きはスカーフをほっかむり状にする巻き方です 相川町
根本寺(こんぽんじ) 鎌倉時代の1271年佐渡に流された日蓮は2年半の流人生活送りましたが、根本寺は日蓮宗の根本教典『開目抄』を著したところで、日蓮宗霊跡として現在に至っています 新穂村
裂織り(さきおり) 古くはフジ、シナ、ヤマソなどの樹皮・草皮繊維を利用して衣服を作っていましたが江戸時代中期くらいに古木綿が入ってくるようになるとそれを裂いてヨコ糸に使い、タテ糸は丈夫な樹皮・草皮繊維を用いていました -
佐渡おけさ 三毛猫の「ケサ」が乙女に変身し、飼い主の窮状を助け、唄や踊りで店を大繁盛させたという物語から「佐渡おけさ」と云われるようになりました。もう一説では佐渡での「おあさ」が新潟に渡り「おけい」として活躍、それが合わさって「おけさ」になったとか…後に北海道に渡り〜来いというたとて ゆかりょか佐渡へ 佐渡は四十九里 波の上〜と唄ったらしい。佐渡から約200キロって何処なんでしょう? 小木町
佐渡金山 金の生産量78トン。グラム1300円とすると1兆円(当たり前だけど1億円の1万倍) 相川町
佐渡情話 お光が柏崎の吾作会いたさに60キロの越佐海峡をたらい舟で往復していました。妻子ある吾作はこのままじゃヤバイと思ってお光が夜帰る時灯台の火を消してお光を難破させてしまいました。浪曲バージョンだと気がふれたお光を日蓮和尚が治し、めでたく添いとげるんですが… 小木町
清水寺(せいすいじ) 大同3年(808)僧、賢法が京都から布教にに佐渡を訪れた時、京都の清水寺を模して建立したと言われる新義真言宗豊山派の寺。行基の作である十手観音を安置し、清水の舞台を模した救世殿があります 新穂村
千と千尋の神隠し 主人公千尋がカオナシらを供に銭婆(ぜにーば、湯婆婆の双子の姉)の家に向かう時、駅までリンが見送りに来たがそのリンが乗っていたのが『たらい舟』(意外?にも歴史は浅く、考案されたのは明治の始め頃です。元は洗濯桶…やっぱりというか意外というか?) 小木町
ぞぐら 大安寺の裏てを「ぞぐら」と呼んでいたのが正式には「雑蔵(ぞうぐら)」でした。(門兵衛坂を登って東南の道をすこし行ったところに印銀所、御米蔵とならんで雑蔵があって、山師が使う油、竹、鉛、煙硝等を収容してあった倉庫) 相川町
素浜海岸(そばまかいがん) 美しい海水浴場。なかなか“そばま”とは読めないが、地元の爺ちゃんが言うには「オレは昔から“すはまかいがん”って言うとる」との事でした。 羽茂町
大安寺 初代佐渡奉行、大久保長安が建てた寺 相川町
鶴の恩返し 柳田国男の「全国昔話記録」の中の「鶴の恩返し」を劇化した木下順二の短編「鶴女房」が1948年に書き直され、「夕鶴」として発表された。それに因んで『夕鶴の碑』があります(全国各地にもあるようですが…) 相川町
朱鷺(トキ) 学名ニッポニア・ニッポン。全長約80センチで長いくちばしがあり翼の裏側の色が特徴的で昔から「とき色」と呼ばれていました。1934年天然記念物指定、1952年特別天然記念物指定、1960年国際保護鳥に選定されています。朱鷺の事を“だお”と言ってたらしく、のんびりしていてすぐ捕まえられてたそうです。佐渡弁でのろまな(怠け者)を“だおもん”と言います -
日本海 江戸時代末期、小木の宿根木出身の蘭学者柴田収蔵が名付けたそうです 小木町
波蝕甌穴群(はしょくおうけつぐん) 平根崎にある。波がひく時に岩盤を渦巻き状に浸食して、無数の穴ポコを開けたもの。数は世界2位。国の天然記念物 相川町
平成狸合戦ぽんぽこ 文太(ぶんた)が長老ダヌキ、相川の二つ岩の団三郎のもとへ、強力な変化術を指導してもらおうと、頼みに向かうがすでに亡くなっていた。(同級生ん家だけどこの話、本人は知っているんだろうか?)。サウンドトラックには『望郷 阿波−東京−佐渡』も入っています。 相川町
無名異焼(むみょういやき) 佐渡金山から出る鉄分を多く含んでいる無名異という土(最初は止血剤、中風の薬用だった)を陶土に混ぜて焼いたものです。(これでお茶を飲んでると鉄分が体に入り貧血がなくなると近所のおばちゃんが言っていました) -
もんぺ坂 大安寺の北側の石階段。昔もんぺをはいた人達が上り下りしたからその名が付いたと聞いていたのに、正式名称は門兵衛坂でした。 相川町
山下清 「裸の大将」でおなじみです。母親が佐渡新穂村の出身です 新穂村
良寛 漢詩や和歌。書芸に功績を残した良寛。の母が相川出身でした 相川町
蓮華峰寺(れんげぶじ) 佐渡が京都の鬼門になるところから、比叡山にならって806年空海によって創設された 小木町

とりあえず今日はここまで(^o^;  後々追加、修正、リンクしていきます

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