分団広報紙「げんなぐろ」 第 26 号 平成18年9月19日発行 |
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《発行者》 第 5 分 団 《編 集》 第5分団総務部 74-3747 題字:小杉祐生 |
9月18日は敬老の日でした。総務省の発表によれば、主要国の中において、日本は総人口に占める高齢者(65歳以上)の割合が世界最高水準となったそうです。とても喜ばしいことですね。ということで、今回は敬老の日にちなんで五分団でお住まいになっている、大正生まれの元気なご夫婦からいろいろとお話を伺ってきました。 海士町にお住まいの衣笠一雄さんは、大正11年、長坂のお生まれ。奥様のトシさんも大正11年のお生まれで、現在の河原田でお生まれになったそうです。 大正時代の事は、お二方とも「小さい頃なのであまり覚えていない」との事でしたので、昭和に入った戦前の事から伺いました。 当時は21歳になると男子は徴兵検査があり、それが今の成人式のような感覚だったそうです。この徴兵検査を終えると「酒」「たばこ」が堂々と飲め、吸えたそうです。 戦前の教育ですから、戦争に行くのが当たり前の時代で、衣笠一雄さんも当然のごとく徴兵検査を受け、仙台にある兵舎に入営したそうです。ところが正式な入隊前の検査で不合格となったため、佐渡へ帰る事になり、新潟交通のバスの「運転手さん」になったそうです。 奥様のトシさんは、ご主人より1年ほど早く新潟交通のバスの「車掌さん」として勤務していて、お互いに気になる存在だったようですが、その辺りは詳しく聞きませんでした。 その後一雄さんは再度徴兵検査を受け、1年ほど戦地に赴きました。その後、復員し新潟交通に復帰しました。そこで再会した二人はまもなく結婚したそうです。 トシさんは結婚を機に退職し、家事に専念され4人の子供を育て上げました。 当時を振り返り、一番つらかったのは食料が思うように入手出来なかった事だそうで、八幡までお米を買いに行っても売ってもらえず、鉱山で働いている人たちが、衣類と物々交換しているのを見て参考にしたとのことです。 今では考えられないようなご苦労をなさって、今年で結婚61年目。お元気な二人には、まだまだ長生きして頂き、後に続く我々後輩の良いお手本とさせて頂きたいと思います。 |
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トライアスロンの応援に、太鼓を叩いてもう10年位になります。太鼓を叩く子供たちに、選手が手を振って答えているのを見ると、今年もやってよかったなぁと思うのですが、これだけ続いたのにはちょっとしたエピソードがありました。 1か2年太鼓叩いての応援をやり、翌年やらない事がありました。するとトライアスロン当日の早朝、太鼓のバチを持った子供が、太鼓を探して下戸の海岸を歩いていたと聞き、我々大人の勝手な判断で中止にした事に胸が痛み、以降は毎年太鼓で応援しています。 しかし、太鼓を叩いてくれる子供たちも、今年が最後になるかも知れません。それはそれで仕方のないことです。 |
これは昭和30年頃、現在の佐渡自動車整備工場前のカーブで写されたものです。背景に雪が写っているので冬のようです。トラックのフロントグリルに「カバー」が付いているのが分かるでしょうか。こうしないと当時の車は寒かったんでしょうね。 隣のバイクは、現在ではマフラーのメーカーになっている「キャブトン」の650ccだと思われます。 この頃のバイクは今のバイクとは何か違う雰囲気を漂わせています。隣の自動車もそうですが、骨太で重厚感溢れるフォルム、ガッチリとしているというか、どこか現代の若者と、その(写真の)時代を歩んできた先輩方との「差」に重なり合って感じられるようです。 この時代のナンバープレートは横長で、ひらがなも無く、文字の大きさは今のそれより大きいようです。 道路がまだ舗装されていないのには驚きます。11号で紹介した歓迎塔の写真の頃と同じ年代なのでしょう。 現物の写真を見ると、味わいがもっとあるのですが…。伝えられないのが残念です。 |
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