分団広報紙「げんなぐろ」
第 11 号
平成14年5月268日発行
《発行者》
第 5 分 団
《編 集》
第5分団総務部 74-3784

題字:小杉祐生


「分団総会の報告ほか」
分団長 衣笠信之
 日頃、分団活動にご協力いただき誠にありがとうございます。
 去る3月28日の分団総会におきまして、平成13年度の事業報告、会計報告並びに平成14年度の事業計画、予算案等について審議をいただき承認をいただきました。総会の内容につきましては、別紙で回覧のとおりです。
 一方、役員の改選も審議していただいたのですが、図らずも昨年までに引き続き私が及ばずながら分団長の役を担うこととなりました。それぞれの役員につきましては別紙に示すとおりです。これまで同様「地域の親睦と活性化」を基本として、活力のある楽しい分団活動を進めていきたいと思っていますので、引き続きご理解とご協力を賜りますよう宜しくお願いいたします。
 さて、分団事業の中でも大きなものの一つである金山祭りの分団屋台ですが、今年から、これまでの様な分団屋台パレードという形をとらずに、おけさ流しをメインにした分団流しに変えようということが、関係機関と各分団との昨年からの協議によって概ね決まっています。
 具体的な流しの形については各分団に任されているのですが、五分団では既に数年の間、分団屋台パレードの帰りを利用して分団流しを行ってきたという実績もありますし、ここ数年は子供も含めて地方の練習にも取り組み、分団流しでも活躍しています。このようなことから、これまでの分団流しを土台として、これまで分団屋台に参加していた小学生、若年層やベテランの方々にも加わっていただく等の肉付けをして、「新たな五分団おけさ流し」を築いていきたいと思っています。このことについては、計画が定まり次第「げんなぐろ」等で参加要請や募集についてのお知らせをしたいと思っています。別の考えをすれば、元の形へ戻るということなのでしょうが、何しろ十数年来の形を変えるわけですから、「形を変えたら白けてしまった」ということの無いように、奮ってご参加下さるようお願いいたします。
 また、この他にも年間を通して色々な事業を行う予定です。都会では隣人との希薄な近所づきあいが時折問題視されていますが、どこにいても待っているだけではなかなか「新たな和」は築けないもの。各事業を通して色々な機会を提供しますので、是非ご活用いただき、都会に無い「田舎の温もり」を皆さんで育てて頂きたいと思います。



「青年・女性の皆さんへ」
青年女性部長 武田幸司
 昨年から作られた部で各部の手となり足となって、あらゆる活動の手助けをしてきました。今期も同様に手伝うのはもちろんのこと、青年女性部独自の活動をしてみたいと思っています。分団で生活している青年、女性多くの人が参加、協力してもらえる分団にしなければいけないと思っています。皆さん、是非分団活動に参加してみてください。楽しいことがイッパイありますよ。



「相小地方教室、東京でおけさ披露」
総務部長 河野量市
 3月23−24日に相川小学校地方教室の5−6年生が、東京原宿のネスパス新潟館と言う所で、佐渡おけさを披露して来ました。
 我が五分団の子供達も9人参加して、見に来ていた方々より盛大な拍手をもらい、バスの為行き帰りは大変でしたが良い体験をしたと思います。
 子供達にずっと演奏させて、少々疲れているようだとの事で、急遽時間調整に付き添いで行った大人が佐渡おけさをやる事になり、少々焦りましたが恥ずかしながら、東京で佐渡おけさをやってまいりました。
 今年から金山祭りは、従来の屋台パレードの形を変えて、佐渡おけさをメインにと今検討しています。まだどんな形になるか決まってませんが、おけさの本場相川、子供から大人まで、楽しんで佐渡おけさをやれればと思っています。           



〜5分団奉仕作業(草刈り)へのご協力ありがとうございました〜

  去る5月12日(日)に、分団の倉庫として借りている消防署横の観音堂と、熊野神社境内の草刈りをしました。
 回覧板での呼びかけに応えて、総勢で25人近くの方々が集まってくださいました。
腰の丈程に伸びた雑草の生い茂る中、草を刈る人、集める人、運ぶ人と手分けをすることができたおかげで、結構な面積の草刈りでしたが、約1時間の作業ですっかりきれいになりました。
 参加して下さった皆様、ご協力大変ありがとうございました。また、次回もお願いいたします。



    エピソード11
 5月12日に、じゅうにさん(熊野神社)と観音さん(下戸観音)の草刈りをしました。
 草がボーボーの時は判らなかったのですが、草を刈ってみるとなんと犬の糞が多いことに驚きました。自分ん家のつもりで、片付けてくれるといいのですがね・・・。
 大勢の人が手伝いに来てくれたので作業も早く終わり、天気も良かったので、歩道の縁石や観音さんの段の所に腰を下ろして、皆さんでジュースを飲み、昔話に花を咲かせている人も居たようです。
 五分団の習性で、人が複数集まるとすーぐ飲む話がまとまり、某そばやさんへ。飲んで食べた後「ちょっと風呂入りてーなー」とどなたかが・・・、風呂入ってサッパリしたら、「また飲めるぞー」とどなたかが、今度は某レストランへ。
 家に帰ったらとっくに夕飯の時間は終わっていましたが、食べられるわけないですよね。



「五分団お花見会」
4月7日(日) 相川小学校グラウンド
 今年は冬から春への移り変わりが大変早い年でした。桜前線も驚異的なスピードで北上を続ける中、いつもの通り4月の第3日曜日に「お花見会」を開催していたのでは、ほとんど散ってしまった後の枝だけの桜を見ることになりかねないということで今年は第1日曜日に開催しました。
 予想通り七分咲きの品のいい桜を見ることができました。人出は例年通り100人余りというところでした。
 今年は団長の一言で、いつもお世話になっているんで、たまには女性陣に負担を掛けないように男性陣で調理や盛り付けをやってみよう!と、できるだけ男性陣でやりました。(のつもりですが・・・)女性陣の皆さん、少しは楽をしていただけたでしょうか?
男性陣調理中。どこで練習しているのかなかなか上手です
子供たちも納得?の美味しさ
やっぱり最後はこの画でしょう



「五分団今昔物語その三」
 今回は、前号でお知らせした「歓迎塔」について調べてみました。
 現在、道遊線の信号の所に「金山の町あいかわ」(相川地区交通安全協会相川支会)と「相川へようこそ」(新潟県)という広告塔が建っています。その前は万長さんの信号の浜側に建っていましたが、昭和の中頃に、現在の海士町バス停(海士町入り口側)の所に、これらの元となる歓迎の塔が建っていたとのことです。
 昭和27年から30年にかけて鉱山の縮小があり、町の活気が下向きとなる中、無名異焼きや観光の振興を図ろうと再建協議会というものが組織され相川町の観光が見直され、「観光の相川町」「おけさの都」を宣伝すべく、この(写真→)広告塔が建てられたということです。そして、当時はみんなが「歓迎塔」と呼んでいたそうです。
 また、その建設当時、建設候補地として下戸入口(下戸交差点の辺り)という案もあったそうですが、町に入る直前の所に建てたい、海が見え、町並みが見える場所に建てたいということで、海士町の入り口に建つことになったそうです。(海士町:森氏談)
 編集部では、町商工観光課、町史編纂室など公文書等にこの「歓迎塔」の建設理由、経緯、年代などの記録を探しましたが、残念ながら右上の写真とは別に、歓迎塔が偶然片隅に写っている写真一枚を見つけることしかできませんでした。
 ただ、取材過程での数人の方のお話しや写真から判断すると、昭和三〇年前後に建設されて、昭和四〇年代中頃まで有ったのではないかと推測されます。(どなたか正確な年をご存知の方は編集部までお知らせ下さい。)
 上の写真をよく見ると電線のような物が左に繋がっており、てっぺんの球体は電灯の様に見えます。夜になると灯りが点ったのでしょう。また、中心に大きく「歓迎 相川町」と、下には小さく「おけさの都」と読めます。当時の観光客の皆さんはこの歓迎塔を見て「あぁ、やっと相川に着いたか。」と思ったことでしょう。
(写真:『観光の相川』相川町・相川町観光協会発行供:海士町、森幾氏所蔵)



「五分団美化作業を行います」
「五分団の海岸線を花でいっぱいにしましょう!」ということで、下記により海岸清掃と花壇の整備を行います。皆様のご協力をお願いいたします。

作業日時 6月2日(日) 午前9時
集合場所 ホテル万長さん下の海岸
持ち物等 作業のできる服装で、クワ・移植ゴテをお持ちの方は持参下さい。



編集後記> 少々発行が遅くなりまして申し訳有りません。今回もお花見の写真、肝心な「桜」を一枚も撮っていませんでした。写真も花(桜)より団子(食べてるところ)?・・トホホ。
 今回の「5分団今昔物語」も町史編纂室にご協力を仰ぎましたが、意外なことに観光というくくりの資料が少ないということが分かりました。編纂室の方も「観光というくくりも大事だな」とおっしゃていました。過去を掘り下げるというのはなかなか難しいですね・・・。

 


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